HONEY 石川悠の心音


『内緒』と西脇が言い置いていったということは

「これは西脇からの物ではないことは確かだな」

と、石川は手にした紙包みを眺めながら、至極当たり前な言葉を呟いた。
花柄の紙は八角形の箱を綺麗に包み込み、否が応でもそれが特別な贈り物なのだとわかる。

「…チョコ、だよな?」

日付から考えても、箱の重さ、形状からしても、中身はチョコレートかもしくは、それに準じる物であろう事はいくらイベント事に鈍い石川とてわかる。

「さて、どうしたもんかな…」

キングサイズのベットの上、胡座をかいて目の前に置いた箱と睨めっこすること二分。
ふいに石川の耳に扉の開く軽い音が響いた。

「悠さん、今、誰か来てましたか?」

暢気に声を掛けてきた大柄な石川の恋人は髪を拭きながら…石川にとって幸いな事に前髪を拭く為、殆ど石川は見えぬままで問う。

「あ、ああ、西脇がちょっと、な」

ぎこちなく告げ、慌てて目の前の箱を枕の下へと石川が隠すのと、岩瀬がタオルを髪から外したのはほぼ同時だった。

「西脇さん?何か用事だったんですか?」
「うん、まあ…」

言葉を濁した石川を不思議そうに見ながら、岩瀬がベットサイドに腰掛けた。

「悠さん?」

優しい眼差しで覗き込む岩瀬から気まずさに目を反らした石川を気にかけて岩瀬の目が追い掛けていく。

「悠さん、どうしました?」
「なんでも…ない」

考えてみれば、何故、箱を隠したのだろう…。
今更自分の行動に意味のなかった事に気付き、石川は微かに溜息をついた。
嘘をごまかす事の出来なくなる真っ直ぐな岩瀬の眼差し。
嘘をつく後ろめたさから石川の目線が、ちらりと枕を見遣る。そして、それを見逃す岩瀬ではなかった。

「何があるんです?」
「い、岩瀬!」

慌てて枕を抑えようと石川が腕を伸ばしたが時すでに遅く。岩瀬の指は枕の下に、そして、そこに隠れていた綺麗な箱を引き出した。

「…悠さん、これは、西脇さんが?」

岩瀬の声が途端に不審を極める。

「西脇さんが悠さんにチョコを…?」
「…え?」

真剣な顔で真っ直ぐに自分を見る眼差しに、石川は岩瀬が根本的に間違っていることに気付いた。

「でも、西脇さんにはDrがいるから…やっぱり、さっき来たのは別の隊員で悠さんにチョコを渡しに来たんじゃ」
「ちょっと、ちょっと待て、岩瀬」

一人妄想を膨らます岩瀬の肩に石川は手を掛けて落ち着かせる。

「さっき来たのは正真正銘、西脇だし、このチョコは俺宛じゃない」
「…え?」

突っ走っていた妄想を止められた岩瀬は肩に置かれた手を宥めるように二度三度叩かれて、呆然と石川を見つめた。

「じゃあ誰宛ですか」

マヌケな質問に石川は思わず破顔させた。

「お前って…」

込み上げる笑いを殺しながら、石川が肩に置いていた手を上げて、洗い立ての岩瀬の髪を撫でた。

「自覚ないのな、ホントに」

逞しい体躯、優しげな雰囲気、精悍な顔立ち。

「お前宛だとは、思わないのか?」
「え?…は??」

明らかにまだ理解していない。
置いた手で髪をぐしゃぐしゃに掻き交ぜると、石川は岩瀬の膝に箱を置いてやった。

「お前宛。西脇が持ってきた」
「…誰からですか?」
「さあ…誰からかな?西脇も言っていかなかったし」

手にした箱を岩瀬が慎重を期すように軽く振る。

「何か仕掛けてあるんじゃないでしょうね?」
「何、疑ってんだよ?」
「俺宛のチョコを西脇さんが持ってくる自体、不思議なんですよ」
「疑い深いなあ」

包装紙を剥ぎながら、岩瀬が口にする言葉に呆れたように石川が笑う。

「第一、俺なんかにチョコを寄越す関係者なんかいないですよ」
「…だからお前は自分を知らないんだよ」

お前は俺には勿体ないくらい、いい男だから…。
石川の内心には気付かずに、岩瀬が包装紙の中に包まれていた八角形の箱の蓋を開ける。

「…これ…」

粒チョコレートの一番上に置かれたメッセージカード。

『ドキドキした?』

「これ、西脇の字じゃ…」
「アレク!」

短く岩瀬が悪友の名を呼んだ。

「西脇さんも荷担するなんて、今回は手が込んでる」
「でも相手がわかって良かったじゃないか」

石川の宥める声に少し憮然としながら、チョコレートを眺めていた岩瀬がふいに何かに気付いた。

「…アレ?でも悠さん、何でコレ隠してたんですか?」

途端、石川が気まずそうに苦く笑った。

「それは…だな…、ええっと…」

ただただ不思議に思っているだけの岩瀬をちらりと眺め、言葉を出そうとしては口を閉じる。

「えっと…いいですよ、悠さん」

幾度目かの視線に岩瀬がゆったり笑って立ち上がると、自分の荷物が置かれたクローゼットを開けた。

「悠さん」

クローゼットを閉じて戻ってきた岩瀬の手には長方形の黒いビロードの小さな箱。

「はい、これ。貰ってください」
「俺に?」
「はい」

受け取った石川の指がその箱を開ける。

「あ」

金の細身のボディに小さなダイヤモンドが二粒ついた目立ちはしないが品のいいネクタイピン。

「他の物より…付けてても、おかしくないでしょう?」

手にしたピンをじっと見たまま石川はしばし動かず、返答を待つ岩瀬が心配げに石川を覗き込む。
そんな姿に、ふわりと、柔らかく優しく石川が微笑んだ。

「岩瀬…ありがとう。大事に使う」
「…良かった。悠さんに似合いそうだなって思ったんです…」

石川がふいに岩瀬を抱き締めた。自分よりも逞しい身体に腕を回す。

「悠…さん?」

岩瀬の躊躇いがちな声と共に背中に腕が回されて、石川は尚更に身を埋めていく。

「…お前を誰かが思ってるって思ったら…何かわからない内にチョコ隠して…ごめんな」
「…嬉しいです」

岩瀬が石川を抱き締め直し、耳元で囁く。

「…でも心配ないですよ。俺は悠さんのものですし、そんな心配される程もてません」
「ホント、わかってない…」

石川が肩に額を寄せて呟いた。

「お前はいい男だよ。もてるに決まって…」
「悠さん」

驚いたように岩瀬が石川の肩を掴み、身体を離した。

「あ、いや…その」

口元を抑えて、顔中を赤く染めた石川に岩瀬がこれ以上ないかのような顔で笑いかける。

「俺には悠さんだけ。悠さんがそう思ってくれれば…俺は幸せです」

手の中の箱に手を重ねながら、岩瀬の唇が石川の唇に触れた。

「…悠さん?」
「…うん…」

ビロードの箱を石川の手から受け取った岩瀬がチョコレートの箱と共にサイドテーブルに置く。

「悠さん…」

カチリと部屋の明かりが消えて。

その時、ひらり、カードが落ちた。


『どきどきした?』


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