コーヒーブレイク~真矢の場合~


「…や?…まや?…真矢!」

自分を呼ぶ声に我に返ると、目の前に見慣れた自分のコーヒーカップが突き出されていて、それを持つ、その指の持ち主に視線を上げていく。
優しげな印象を初めは持ってたんだよなあ…。
何も答えない俺を心配そうに眉を潜めて見つめながらも、片手で人の髪をひっぱるような人だとは思いもしなかった。

「少し休憩したら?何かボーッとしてたぞ?」
「…ありがと、宇崎さん」

これ以上いらぬ心配は掛けてはいけない。
いつも通りの声で礼を言い、手にした書類をデスクに投げ出すと、両手でカップを受け取った。
ふわり、香ばしい匂いが湯気につられて空気中に広がる。

「いい匂い」

思った通りを口にして、ふと彼の手元を見るも、その手にはカップは握られておらず、部屋のどこにもそれらしき物はない。

「いれて、くれたの?」

俺の為だけに?
半ば信じられずに問うと、少し離れた場所にある自らの椅子に腰掛けようとしていた宇崎さんが、ぶっきらぼうに
『ついでだから』と呟く。
思わず笑みが零れる。
自分が飲んでないのに、何のついで、なんだろう。

「お、俺もこれから飲むんだよ、これからっ」

俺の目線に気付いたのか…慌てた様子で自分の分のコーヒーを簡易キッチンへと注ぎに行く背中に、にやけた顔は治まりようがない。

「ねぇ、なんで、そんな慌ててんの?」
「慌ててなんかっ」

背を向けて言いながらも、耳が赤いのは隠しようがないよ、宇崎さん?
カップを置いて立ち上がると、自分のベットの上に、いつも読んでいる雑誌の今月号が置かれているのに気付いた。
そうか。一昨日、発売日だった。
…忙しくて、なかなか外に出ることが出来なかった俺の状況を知っていたから、何も言わずに買い置きしてくれたのだろう。

「…ありがと」

色んな意味で。
背後から近寄り、そっと背中から抱き締める。
いつもなら、『何してんだよ、コーヒーいれんのに邪魔だろ』くらいは言われるところだけど…。
何も言わずに、背中を俺に預けてきた。

「…宇崎さん…?」
「黙っとけ」
「…ん」

ここ暫く、シフトが噛み合わず、なんやかんやとお互い忙しくしていたから、こんな風にこの部屋で宇崎さんを抱き締める時間もなかった。
ようやく詰めていた息を吐き出せた、そんな感じ。

「…万尋さん」

仕事モードから頭が切り替わる。
愛しい人がいれてくれたコーヒーの香りが漂う部屋で、その人が腕の中にいて。
肩に顎を乗せると、目の前に照れ屋である意味、とても素直な恋人の赤い頬が見える。

「万尋さん」

もう一度、名前を、身体の奥から湧き出す思いを込めて囁く。

「…お疲れ、真矢」

肩口に乗った俺の頭を、万尋さんは何度か撫でてくれながら、労るように、優しく…その手と同じくらいに柔らかく応えてくれた。
…最初は優しげな印象だった。
だけど、今は。
意地っぱりで口悪くて照れ屋で…それに。
『優しげ』じゃなくて、とても優しい…俺の恋人。

「好きだよ、万尋さん」

小さく呟いて強く抱き締めたら、腕の中の万尋さんが振り向いて…。

「調子のんなよ、ばーか」

いつも通りに睨みながら、どこかおかしげに笑ってくれた。


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