残暑
暑い日が続いている。 連日のごとく真夏日、いやここ一週間は猛暑日と呼ばれる気温だ。 雨もまともに振らないし、この調子だと十月になっても暑さは変わらず、秋がこないのではないかなどと考えてしまうのは仕方ない話だろう。 「おはよう」 背後からかかる声は振り返るまでもなく友人のものだとわかった。 「おはよう、池上。これから勤務?」 「うん」 ちらり時計を確認すれば就業時刻までも、こちらの待ち合わせ時刻までも、後十分といったところ。 少しばかり話をしてもいいくらいの余裕はありそうだと、比較的大きな木の陰に入ると思った通り、池上も後ろからついてくる。 「平田はどこか行くの?」 「そう。クロウさんと講習受けに」 「ああ、今日だったんだ?」 「うん」 二週間程前、池上と植草とラウンジで話している最中にクロウさんにシフトは休みになってるけど新型爆弾の講習に一緒に行かないかと誘われた。 中々講習会に出られることも少ないし、今回は実習形式で教えてくれるということもあり、一も二もなく連れて行ってくださいとお願いをしてそれ自体は決して後悔はしていないけれど。 「今日は防護服辛そうな日だよね…」 「まあ、事件には季節関係ないから夏の実習も必要だとは思うよ。けど」 問題は今日実習形式で行われる爆弾解体作業は表で行われること。 「何だか、こう緊張してきて」 相手が池上だということもあって口からほろり本音が零れる。 以前、隊長の記憶が一部失われている最中、ラジコン飛行機に国会が攻撃された事件があった。 怪我人もだいぶ出た大きな大きな事件だった。 隊員は一丸となって戦い、国会を守ったのだが、しかし。 一斉に爆弾のついた飛行機が降下してくるというその瞬間、自分は現場にいることが出来なかったのだ。 …医務室のベットで暑さの為に倒れ、横になっていたから。 あの夏に誓ったのだ。 同じようなことは起きなければいいと思うけれど、起きないとも限らない。 最後まで現場に立っていたクロウさんのように、俺も最後まで立っていれるだけの力をつけようと出来るだけのことはしてきたつもりだし 実際、あれから夏の最中の出動だって何度も何度も経験している。 それなりに、手応えだってあった。 だけど。 今回の実習がどれくらいの長さになるのかわからない。 万が一、倒れるなんてことがあったら自分の体面なんかよりもクロウさんや隊の名前に傷がつくなんて…少しばかりの不安が胸に広がるのを止められない。 それに何より。 隊の役に立てない自分に、自分の甘さにきっと腹が立つだろう。 「平田」 「うん?」 暫くの沈黙の後、池上が周囲に響く蝉の声の合間を縫って口を開いた。 「平田はさ、僕が知らないところできっと色んな努力をしてきたんだと思うんだよね。人一倍、悩んだりもしただろうし、頑張っても来たんだろうなって」 「頑張るなんてそんなことじゃないよ。当然のことをしただけだから」 入隊してから、少なからず色々とあった。 迷惑と言っていいのかもわからないくらい大きな大きな迷惑と心配と、ことと場合によっては取り返しのつかない事態になるところだった事件も起こした。 けれどそれを気にしてばかりでは何も変わらないことも、何の役にも立てないことも、誰のことも守れないこと教えてもらった。 沢山の人に、沢山の手を差し伸べてもらって、ここにいる。 だからこそ、自分も手を差し伸べられる人でありたい。 その為にするべきことをして来ただけだ。 「でも僕らはね、それが平田の努力の上に成り立ってると思ってる」 池上は当たり前のことを当たり前に言うように続けた。 「僕らは平田が転んでも立ち上がってまた歩き出すのを見て来たし、登れないと思ってた山を登っていくのも見てたよ」 思わず池上を凝視してしまうものの、当の本人は気にもしない様子で言葉を紡ぐ。 「だから大丈夫。きっと前より前に進んでる。上へ登れてる」 あまりに普通過ぎる口調が返ってそれが本音であることを教えてくれて、かああと頬に血が昇るのがわかった。 「でも無理しちゃ駄目だよ、熱中症は怖いんだから…って平田?」 当てた掌は通常の体温は持っている筈なのに、それが少し冷たく感じる程、熱く火照る頬。 池上のいう『僕ら』という複数形のなんという有り難さ。 「大丈夫?」 転んだ時、顔を上げた先に居てくれた人がいたから、隣を見れば一緒に歩いてくれる人がいたから。 山を登る時、目の前を行く背中があったから、険しい場所を踏み出す勇気をくれた声があったから。 だから自分は進んでこられたのだと改めて感じる。 本当に、本当に。 俺はどれだけの人に見守られてきたんだろうと思う。 なんて贅沢者、幸せ者なんだろう。 「大丈夫。ありがとう、池上」 そう、きっと大丈夫。 俺を信じてくれている多くの大切な人が大丈夫だと言ってくれているのだから、自分を信じなきゃバチが当たる。 「池上も暑いから気をつけてな」 「うん。でも僕、本木ほどじゃないけどあついのそんなに嫌いじゃないから」 『あつい』という言葉のニュアンスが気温のそれとは若干違う気がして頬から手を外し池上を見れば、やはり若干笑いを含んだ顔つきをしていた。 「平田は?」 「え?」 「あついの。仕事抜きだとどうなの?」 「俺は」 皆の気持ちの篤さに感謝しつつ、頬は熱く、心も熱い。 「…悪くないと、思う」 こんな『あつさ』なら悪くない。 Index |