夕立が降れば


雨の匂いがする、と休憩場所の窓際に陣取った安藤が呟いた。
外の空気も入ってくるわけでもないし、夏の日差しに一日照らされた空からはまだ降る気配はしないけれど外警が言っているのだからきっと降るのだろう。
窓の外に向いたままの視線は、遥か道の先に立つ陽炎のように揺らいでいた。

「何か、あったのか?」

問い掛けると小さく肩が反応したのがわかる。

「失敗でも、した?」

ふるり、小さく頭が横に振られた。
一年目の自分達にとって、失敗はいつだって隣合わせ。
その度に自分の実力不足を嘆いたり自分と先輩方との違いに凹んだりもするけれど、それを早い段階で前向きな目標に変化させて、決して、引き摺らない。
自分の気持ちが幾ら落ちていたとしても守るべきものは目の前にいつだって変わらずあり
守るべきものを守ることに対して全力を尽くせないような落ち込み方はしてはならないと知っているからだ。

「…少しだけ、今だけだから、気にしないでいい」

やっと帰ってきた答えは、望んだ明確なものではなかったけれど、隊員としてあるべき姿を見失ってはいないことを教えてくれていたから少しの安堵と共に隣へ腰を下ろした。
休憩をしに来たからというのは勿論座ったのではあったけれど、同じ目線になれば何を見ているのかがわかる気がしたというのも理由のひとつだ。

見えているのは、次第に日が陰っていく空と、焼け焦げた数本の木。
この木は先日、隊がザックガッセを名乗るテロリストがラジコン飛行機を使ってテロを仕掛けた際に被害にあったものだった。

「…凄かったな、あれ」
「ああ、凄かったな」

入隊直後から事件は数多あったけれど、ザックガッセの事件はテロの脅威を改めて知らしめられたものであり
上空から何百機という飛行機が爆弾を搭載して降ってくるなどという、想定外の事件であった。

そして何よりも、自分達と二年目以降の先輩の差がありありとわかった事件でもあった。

訓練校で教わってきたテロや理不尽な犯行を繰り返す犯人はどんなに恐ろしくても過去の存在で、現場を甘く考えていたわけではない筈の自分達が、やはり結局甘かったのだと教えられた。
隊員は皆、怯まず引かず、守り抜く覚悟を持って何度でも立ち上がる。
強く逞しく優しい人達の姿を見て、外警の安藤なら余計、そう感じただろうとも思う。
勿論、自分だってそうだ。
開発班のメンバーは皆、沢山のアイデアで状況を少しでも良くしようと動いていた。
自分も夢中だったが、果たして、役に立っていたのかどうか。あの急場で、見落としたものも見ようとすらしなかったものも数え切れずあるだろう。

でも、それは口にしない。
お互いに、口には出来ない。
口にしたら最後、お互いを慰め甘やかす言葉になってしまうとわかっていたから。

先輩達は一人だって自分達を責めたりしないだろう。
必死にやっていた、と信じてくれているだろうし、自分達だって、必死にやった、と言い切れる。
でも、きっと今、胸に渦巻くのは、それとは別の違う感情なのだ。

果たして自分もあんな先輩になれるのだろうかという不安。
立ち向かう勇気を持つ前に一瞬、感じてしまった恐怖。
戦いの最中で他の人を気にすることのできなかった余裕の無さ。

経験や時間の問題なのだと言われるだろうことが、それでも、胸に溜まっていく。
息苦しくなるようなドロドロと熱く湿っぽい感情は、誰かに語って聞かせたって消えることはなく
一人で乗り越えていかなければ何度だって胸の中に澱んでいく感情なのだとわかっているから。
陽炎のように心の中で揺れて、時折嵐にもなり、掻き混ぜられて、ぐちゃぐちゃにもなるけれど、それでも決して逃げようとは思わない。

助け合って乗り越えられるものだって沢山あるけれど
自分の内面と向き合えるのは自分一人きり。
これは自分で、ケリをつけなければならないことだと、本能で知っているから話さない。
代わりのように、班の人達や共に戦った人達の雄姿をひとつひとつ語り合う。
いつか自分もそうなれるようにと祈るような気持ちで、言葉にする。

「ああ、降ってきた」

暫くの間、話をした後、雫が一滴、窓硝子を叩く音が予想外に大きく響き、二人同時に窓の外を見た。
すぐにでも激しく降り始めるであろう夕立が、地面から熱を開放して、やがて雨が止めば、涼しい風が吹くだろう。
そうすればきっと、今まで熱に浮かされていたように見えなかったものも見えるかも知れない。

次第に増えていく雨粒を眺めながら、ぼんやり、そんなことを考えた。


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