やる気スイッチ


「お疲れ様です」
「お疲れ様。ありがとう」

短い休憩時間の最中、雑誌を捲っていた高倉さんの前にカップをひとつ置いた。
高倉さんは基本的に出されたものは拒絶せずに口にしてくれる。
リクエストも多い方ではないから休憩中の飲み物などは一緒でいい、と言ってくれることが多い。
今日も特別に何も言うことなく終わるかと思っていたのだがふと香りに気付いたらしく、口をつける前に視線が上げられた。

「桜茶か」
「はい」

本来はお祝い事の席に使われるそれは一般にはあまり馴染みの深いものではないし、日常的に飲むものでもないから
例えばお菓子に飾る為であったり、季節を感じる為の色どりとして使う方が多いかもしれない。
勿論国会警備隊の食卓にのぼることはこれからもきっとないだろうけれど
最近なかなか休みが取れない高倉さんにせめて季節を感じてもらいたいなんてことを考えて
日頃冷蔵庫で眠っているそれを持ってきたのだ。

「桜か…もうそろそろ外務省あたりの桜が綺麗かな」
「そうですね。あそこ日当たりがいいから」

近所とはいえ日中そうそう出歩くこともないから、想像でしかないけれど
毎年少し早く咲くと聞いてきた桜は恐らく満開だろう。

「行楽弁当でも持って、花見にでも行きたいもんだな」
「いいですねえ、行楽弁当」

けれどついつい反応するのはお弁当の三文字なところが花より団子な自分達らしい。
腰ポケットに入れた料理のレシピとコツを書き留める為の鉛筆を取り出し、ノートを広げた。

「何を入れたい?」

高倉さんが読んでいた雑誌を脇に寄せる。

「まずは桜エビの入った玉子焼きがいいです」

四角く囲ったお弁当箱の中へとまず、小さな長方形を二つ描き、料理の名前を書き添える。
菜の花色の黄色と赤に近いピンクのコントラスト。きっと綺麗だろう。

「それから、アスパラベーコン巻に、カリフラワーと赤カブの酢つけとかも春っぽいですよねえ」
「ああ、春っぽいな」

想像の中のお弁当箱に次々と詰められていくおかず達。
拙いながらも紙の上のそれも次第に詰め込まれていく。

「人参は桜の型で抜いて、桜デンプで覆った白飯の上へと散らして」
「緑も欲しい」
「じゃあ、スナップえんどうも飾りましょう」

何だかちょっと小学生の頃に食べたお弁当に似てきてしまうのはどうしてなんだろう。
色んな料理も作れるようになったのに、お弁当というだけで何故かとても暖かい気持ちになれるんだ。
出来あがっていく紙の上のお弁当を眺めて、高倉さんが小さく笑った。

「ベーコンだけだと肉が足りなくないか」
「じゃあ、からあげも作ります」

空いたところへからあげを一個付け足して、ずずっと桜茶を口にした。
カップの中で桜の花がゆらゆら揺れている。
本物ではないから、紙の上のお弁当がちょうどいいかもしれない。

「我ながら美味しそうです」
「ああ、確かに美味しそうだな」

カタンと高倉さんが席を立ち、窓辺へと足を運ぶ。

「松」
「はい?」

手招きされて、近づいていくと窓の外に桜の木が見えた。
薄らと淡く空気が色づいてみえるのは、蕾を持っているからなのだろう。

「もうすぐ、あそこの桜が咲くだろう?」
「ああ、はい」
「じきに満開になるだろうな」
「そうでしょうね」
「その頃にこの弁当出せないかチーフに聞いてみないか」
「…え?」

呆然と桜の木と高倉さんを交互に見遣る。
メニューはとうの昔に決まっていたし、その為の材料を用意もしている筈で。

「今からメニュー変更するんですか?」
「聞けば、今月仕入れた材料で作れるものばっかりだしな」

そう言いながら、高倉さんがテーブルに戻り立ったままで桜茶に口をつけた。

「勿論、チーフがOKださなきゃ駄目だけど。忙しい最中でも季節を感じられるといいだろ」

外警班は常日頃から巡回などでその身で季節の移ろいを感じているのだろうけれど
内勤の人間にとっては、中々その変化に鈍感ではないにしろ、敏感にはなれていない気がする。

「料理ってのは、そういう季節を感じさせるものでもあるから」

それに、と付け足し、高倉さんが笑う。

「俺が見たくなったんだ、松の言う弁当が」

チーフは勿論だけれど、高倉さんも同じくらいに俺達のヤル気を引きだしてくれる人だ。
料理には厳しいし味への拘りも半端ではない人だから、俺が作る弁当も多分幾度も試作を繰り返すんだろう。

けれど。

「俺、作ります!」

高倉さんと弁当が食べたくなった。
咲いた桜を見ながら窓際でぼんやり。
桜茶も悪くないけれど、もっとしっかり、桜の季節を楽しみたい。
高倉さんだけではなくて、皆に美味しい春の空気を届けたい。

「ああ、楽しみにしとく」

そして、美味しいと言って欲しい。
調理班にとって、それ以上のご褒美なんてないんだから。

さて、ではまずは試作をして、一番身近で一番手強いこの人に春を感じてもらわなきゃ。

キッチンへと向かう前にカップに残った桜茶を喉へと一息に流し込むと身体中に春の香りが満ち溢れ、心がふわり浮き上がった気がした。


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