賞賛と懇願
年末年始の国会内部は静かだ。 臨時国会が開かれているのならそう限ったものでもないけれど、年の瀬に開かれることはまずない。 十二月三十一日。年内最後の出勤日も同じように国会は閑散としていたが、警備隊は多忙を極めていた。 一年の総仕上げとばかりに各所のシステムや備品を点検し、その合間に合間に小さな事件が勃発して対処。 年が明ける前に滑り込むようにチェックを終え、残っていた書類仕事を仕上げて、部屋へ辿り着いた只今、日を跨いで深夜二時過ぎ。 テレビを付けると漫才をやっていた。 ひとつひとつチャンネルを変える。 映画、バラエティ、歌番組。 どの番組も華やかで煌びやかな新年の喜びに満ちているけれど、俺に必要なのはこれではなくて。 「ああ、やってる。良かった」 やっとのことで見つけたニュースで、忙しかった今日…正確には昨日になってしまった…一日の情報を得る。 「ただいま」 「お帰りなさい」 番組を見ながら制服を脱ぎ、ネクタイを解き終わってYシャツとスラックス姿になったところに開いた扉。 愛しい人の声に振り向く。 廊下を歩いている最中に掛かってきた電話のおかげか、先程までの疲れは少し癒えているようだ。 「晋くんと登くん元気でしたか?」 「ああ。登がだいぶ冷えてるから身体に気を付けてくれって岩瀬にも伝えてってさ」 「確かに冷えましたからね」 着ていたコートと上着を次々にベットの上へと落とし俺と同じように身軽になっていく悠さんを横目にバスルームへと向かい、湯船を洗うべく、洗剤とスポンジを手に取った。 俺が洗っている間にきっと悠さんは炬燵のコンセントを入れ、コーヒーを用意してくれている筈。 そう思うと俄然やる気も湧いてくるというものだ。 綺麗に洗い終わった湯船をシャワーで流し、栓を締め、張り終わったらタイマーで知らせて貰えるよう設定して蛇口を捻った。 「掃除ありがとう」 「こちらこそコーヒーありがとうございます」 タオルで手を拭いながら室内へと戻ると、先程想像していた通り、炬燵の上へと二つのマグカップが置かれていて頬が緩んだ。 ふわふわ漂う湯気から芳ばしい香りが漂う。 「改めて、あけましておめでとう、基寿」 「おめでとうございます、悠さん」 「今年もよろしくな」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 悠さんの目の前、炬燵布団を軽く捲って足を差し入れて座り、マグカップを持ち上げ、とカツンと乾杯。 本来ならお酒でも、と言いたいところだけれど、明日も仕事だしそうもいかない。 口内に広がる心地よい苦みにほうっと息を吐くと、悠さんも同時に吐息を零していた。 「お疲れ様でした」 「怪我人が出るような事件がなくて何よりだったな」 「ええ」 一月の二十五日前後から開かれることになるであろう通常国会からはまた国会に多数の議員や関係者、職員がいることになる。 警備態勢も今が緩いわけではなく、更に輪を掛けて厳重に気を張って行うことになるだろう。 だからこそ今の期間、本来ならば少しでも身体も心も休めることが出来ればいいのだろうけれど、そうもいかない。 年末年始になると世間を騒がしてやろうという輩がいつもよりも増える。 巻き起こされたトラブルと事件はそれぞれ小さなものではあったけれど、発生件数が多い為、走り回った距離はいつもよりも多かった。 幸いにも国会関係者は官公庁の休み期間は殆ど居ないし、隊員そして騒動を起こした当人にも怪我人が出ることはなく カウントダウンや初日の出から傾れ込んで来ることも考えられるからまだまだ安心は出来ないけれど取り敢えず年が変わった瞬間は何事も起こらずに済んだが 俺達の仲間は警備隊員として事件に立ち向かうのは当然の責務と考えているから、何かが起こればきっと深夜勤以外の隊員でも大半はシフト関係なく残っていったことだろう。 そう考えれば、彼らの為にも怪我人の出るような事件が起こらなくて良かった。 「このまま何事もなく過ぎてくれればいいな」 コーヒーをまた一口啜って、悠さんが伏し目がちに呟く。 隊員は勿論、関係する人々全てに向けての言葉だとわかるから、カップを置いたばかりの手を自分の手の伸ばして包み込む。 「今年もきっと皆無事に過ごせますよ」 「…うん」 「大丈夫。あなたが率いる隊が…隊員達が守ります」 「そうか…そうだな」 隊のこと、隊員のことを心から思い遣る人だ。 だからこそこの人に悲しい顔をさせたくないのなら、この人に幸せで居て欲しいなら、何よりまず皆を守ることだとこの隊の隊員は知っている。 皆の中には己自身も含まれていることは言わずもがなだ。 ふっと柔らかな笑みが浮かんだ悠さんはそれは綺麗で包んでいた手に思わず力を込めると、限りなく優しいのに真っ直ぐな眼差しが俺を居抜いた。 「皆が守るこの隊と、皆を、俺も守るよ」 そうだ。 彼は誰よりも隊員に信頼を寄せ、信用し、守られている以上に皆を守ろうとする、素晴らしい人。 人間として、真っ直ぐであろうとし…限りなく真っ直ぐであり続ける人。 あなたを守ることというのはこの隊を守ること。 事あるごとにその思いを再確認する。 「俺もあなたと共に、隊を…仲間を守ります」 「ああ、共に行こう」 ぎゅっと。 握っていた手に指が絡んで、握り返された。 「基寿」 「はい」 「去年もその前の年も、お前は俺の隣に居た」 「そうですね」 「今年もどうか」 小さく息を吸い込む音がした。 「俺の隣に居てくれ」 俺の今は何もつけてはいない握った左手の薬指を悠さんの指が撫でた。 無意識にしたのだろう仕草に胸が掴まれてしまって声が詰まってしまったけれど、なんとか絞り出す。 「違いますよ、悠さん」 今年も、などと言わなくたって、俺はとうにあなた一人のもので、あなた以外の隣を欲しがることもないのだから。 俺の答えを待つ眼差しへ出来る限りの愛情を伝えたくて、握った手を引き寄せ、手の甲に、次に開いて掌に唇で触れた。 「今年だけでなくあなたの隣は俺のものでしょう?」 家族に、友に、仲間に、そして何よりあなたと自分自身に誓った永遠にあなたの隣に居ることを、誰に譲ることが出来るだろうか。 今年も、来年も再来年も、その先も。 開いた掌の指の向こうに驚いたように目を見開いた悠さんの顔が見えた。 「ああ、そうだな」 次第に頬に朱が差していく頬を悠さんは隠そうとはせず、その表情は俺の自惚れでなければ喜びに満ちていると思えるもので、俺もつられて、頬が熱くなるのを感じていた。 手が握り直されて、先程の俺と同じように手を引いて、俺と同じ仕草で掌にそっと口づけが落とされた。 「基寿」 「はい」 悠さんが少し、ほんの少しだけはにかんだように笑う。 可愛くて、愛しくて、愛しくて、愛しくて。 「二人で、ずっとずっと。隣合わせで生きていこう」 「勿論」 ずっと一緒に居ますよ、と囁いて、炬燵を挟んでお互いに顔を寄せ合って。 お湯張り完了のアラームが鳴る迄のささやかな時間を、今年最初のキスで埋めた。 Index |