swing
ゆらゆらゆらめいて。 意識が次第に遠のく。 かろうじて現実の縁に引っ掛かり、夢との境界線。 温かなベットの中でもなければ、炬燵の中でもない。 けれど多分一番幸せな寝床だ。 「しゃんとしろ」 「んー、眠気が治まったらね」 「ならば仮眠室で寝てこい」 「そこまで本格的じゃあない」 「そこまででないなら寝るな」 小言も立派な眠気を誘うBGMになっているのだから罪はそちらにもあると思う…などと口を開けばきっとお小言どころでは済まない程度の説教が降ってくるだろう。 「そんな体勢では身体が休まらないだろう」 瞼を開けると執務机で書き物をしていた手を休めて顰め面でこちらを眺める副隊長殿。 来客用のソファに深く腰掛けて身体の力を全て預け、背凭れの頂点に後頭部を乗り上げて上向いた状態は確かに行儀は良くないだろうけれど。 「うーん、そうでもないっていうか」 まだ少しボンヤリとした頭の回転を無理に戻すことはせず、頭を上げて、少し姿勢を正すと顰め面の表情が少し和らいだ。 「少し眠れればいいんだよ」 寒い最中、勤務を終えて室内に入った時の温度差に抗い難い眠気に襲われる時がある。 寒さに弱い訳ではないが、人間の身体自体がそういう造りなのだろう。 部屋の持ち主の気概からか館内でも設定温度をかなり低めに設定してあるこの部屋でもその法則は当てはまり、元より自分からデスクワーク中になかなか口を開くことはないから室内には ペンを走らせる音やキーボードを叩く音、そして時折自分に声を掛ける声音と 静か過ぎず、しかし眠りを妨げるものは何もないという状況で。 「尾美には申し訳ないけど、今、すごく気持ちいいんだよね」 仕事をしている隣でうたた寝なんていつもなら本当にしないことなんだけど 言いようもなく、曖昧な場所に漂う落ちるとも留まるともつかないあやうい感覚が心地いい。 「私が仕事をしていることに申し訳なさを感じることは一切ないが」 ペンを置いた尾美が代わりに印鑑を手に取り、喋りのリズムに合わせて書類に押し始める。 「康がそんな風に眠るのは珍しいだろう?よほど疲れが溜まっているんじゃないのか?」 こんな風に柔らかな感情を表に出すことをしなかった尾美が 素直にそれを表に出すことが出来るようになったのは何より尾美自身にとってとてもいい変化だと思うし 俺にとっても、昔から知る本来の尾美の表情が幾つか戻ってきたようで嬉しいのだが 「疲れてるというより、眠りたいだけというか…」 疲れているから眠りたいのではなくて 今眠ったら心地いいだろうから眠りたいという…言うなれば昼寝に似た感覚なのだが 尾美は困惑したように首を捻っていたから、これは中々に理解を得るのは難しい感覚なのだろう。 「そんなに眠いなら今日は止めて、早く帰ったらどうだ」 「えー、俺、今日尾美と鍋行くの楽しみに一日働いたのに!」 「え?いつ鍋だと決まった?」 「だって尾美、何でもいいって言ったから。折角だから一人だと中々食べられないものにしようと思って」 昼食の時間に今日の帰りは久々に定時で上がれそうだと尾美が言うから それなら一緒に夕飯でも食べに行こうという話になって そんな会話を聞きつけた他の隊員たちが美味しい店の情報の載ったフリーペーパーをわざわざロッカーから持ってきてくれたり 珍しい料理の掲載がある店を真剣に読み込む尾美に説明したり。 ああ、いい夢が見られそうだと思うくらいにそれはいい光景だった。 思い出すと胸が温かくなって、そしてまた眠くなる。 「あのさ、尾美」 「なんだ?」 「俺がこんなにうたた寝したくなるのはさ」 幸せな時を夢心地っていうのはこれなのかと思う。 心配事があると眠れないっていうから、その反対なら眠くなるのは仕方ないことなんだろう。 まあ、つまり。 「安心できるから、なんだろうと思うよ」 ふわりと欠伸が零れ出て、瞼は重くなり、話をしている最中だけどソファに再び深く寄り掛かる。 尾美が少し楽に息が出来るようになって『安心』 隊員が尾美に対して心開いてくれている今の状況が心地よくて『安心』 何より尾美がここに居る『安心』 尾美の仕事をする音と共にあることで一緒の道を歩いていることを確認している『安心』 「…ずるいぞ」 「どこが?」 「そういったところが、だ」 ずるくても、嘘じゃないから許してよ。 そう言いたかったのに、眠気がそれを遮った。 「あと五分で終わらせるから、それまでだからな」 なんとか片手を上げて応じると、再びゆらゆらゆらめいて。 「風邪をひくなよ」 その声が柔らかく響き 耳元で揺れて、夢の中に落ちてきた。 Index |