ソファの上の求道者
置き手紙に書かれた材料で夕飯を作る。 俺が休みで、潤が早番の日に限るこの不思議なメニューの決定方法は 『明日の夕飯は何がいいか』 『鷹夜さんの料理は何でも美味しいので迷います』 という通常営業の遣り取りが繰り返された翌日の朝、潤が置いていったメモに書かれた『ナスが食べたいです』の一言から始まった。 その日に作ったナスづくしが思いの他好評で 次の機会は『ネギ』であり『白菜』になり『大根』や『ほうれん草』になったり、『トマト』『きゅうり』などもあったか。 様々な食材を調理してきたものの、今回のこれは王道すぎて逆にどうしたらいいものか。 『おいもでお願いします』 テーブルのメモを持ち上げる。 おいもという曖昧な表現は色々な種類が食べたいということなのだろう。 じゃが芋、長芋、さつま芋、里芋。 簡単に思いつくだけでもこれだけあるのだ。 ある意味、どんなチョイスをするのかを問われている気がする。 『おいもでお願いします』 そのメモの向こうに見えるのは潤の『美味しい食事を楽しみにしています』と浮かべる笑顔。 その笑顔の為ならなんだって作ってやろうという気になる。 いそいそとソファに腰掛け、メモとペンへと手を伸ばした。 スープはビシソワーズ。 長芋を入れた生地で作ったクレープで野菜を巻いて食べられるようにすれば緑黄色野菜も取れる。 荒く挽いた牛肉とざっくりトマトで作ったミートソースのじゃが芋のニョッキに アップルポテトパイ。 それとも全く別の方向で。 じゃが芋とモヤシに歯ごたえが残る程度に火を入れ、ゴマ油と塩で味付けした和え物。 里芋と玉葱の味噌汁。 麦ご飯にとろろ。 自然薯入りのふかし饅頭。 昼は食堂で取る潤だがほんの少しこの部屋にも顔を見せにくる。 AプランとBプランどちらがいいか、くらいを聞く時間はあるだろう。 ペンを置いて腕にした時計を眺めた。 もうそろそろやってくる時間だ。 …それにしたって。 自分が書いたメモの料理に入れようと考えているものに、潤が食べられなかったものが何と多いことか。 「思えば最初から『特別』だったな」 面影を追ったり、想いを怖がったり、傷つけたりもしたけれど。 最初から池上潤は特別な存在だったことに違いはない。 ある意味、偏食が繋いだ縁であると思えば、潤の好き嫌いがあって良かったなんて考えてみたり。 それを直したことが俺の誇りでもあったりするけれど 潤の偏食を直していきながら、俺は潤に心に残る大きな穴の修復をしてもらったのだから お互い様だといえばお互い様。 食堂から聞こえてくる喧騒は一際騒がしいものになり その中に混ざる元気過ぎる程に元気な声に続いて 聞き慣れて馴染んでいるけれど、しかし聞き飽きることはない柔らかい声音。 耳が人よりいいわけではないと思うが、その声を聞き間違えることは決してない。 こんなことひとつでも、どんなに俺が思っているかの証なのだろう。 部屋に近付いてくる気配。 問い掛けたメニューに何という答えが返ってくるだろう。 どちらも美味しそう? それともどちらかを選ぶ? もしかしたら少し料理に興味を持ち始めた潤が提案なんてしてくれるかな。 「ああ、もう、いかんな」 料理のことだけでなく、どんなことだって、ふたりで考えて、ふたりで決めて それで結局潤の笑顔が見たいっていうのが結論で究極。 そして。 扉がコツコツコツと三回叩かれた。 ノブが捻られて、そこから現れる顔に 「おかえり、潤」 彼が自分の元へと戻ってくる毎日という奇跡のような日常への感謝を心で繰り返しつつ いつも通りの言葉で愛しい恋人を迎え入れた。 Index |