信頼の証


「あけましておめでとう」
「おめでとうございます」

出勤してきた班長の顔には寝不足の跡など微塵もなかった。

昨夜は流石、大晦日。
悪戯も含めて出動要請が相次ぎ、班長も日勤からそのまま延長勤務。
待機だった加藤も呼び出して爆班はフル出勤し事態収拾に勤しんだわけだけど。

「何時間寝れました?」
「二時間かな。クロウは?」
「同じくらいです」

ここで嘘を吐くのは互いに命を預け合うこの仕事に置いては危険なことだから申告は正確だ。
今日のこの状態を見こして昨日は平田を早上がりさせ、今朝も少し遅れて出勤するように言ってある。
あいつに業務を回して貰っている内にこちらが少し仮眠を交代で取ろうなんて算段は相談しなくたって既に班長にはわかったもんだ。

「俺が朝の班長会議から戻って平田が出てきたら、クロウ、先に寝てきていいぞ」
「わかりました」
「二時間は寝て来いよ」
「了解です」

俺も相当、寝不足には強い方だとは思うけど班長のそれとは較べものにならない。
この人は口では疲れた疲れた言う割に、実際に疲れた顔は現場では決して見せない人だった。
切れることもなく、淡々と仕事を続ける姿に体力お化けだなんて思っていたことは内緒にしているが
とにかく、表には一切気配すら出さない人だった。
今も、昔も。

だから。

その人からいきなり辞めると聞いた時はまだ出来るだろうと心底驚いたけれど
同時に、全く逆の思いも抱いたのだ。

…やはり、と。

きっと辞めるなら、疲れた顔を見せることなく辞めるだろうと、ある程度予測していたから。

「班長」
「ん?」

ロッカーにコートをしまう背中に呼び掛ける。

「今年は年賀状、書けました?」
「あー、今年も女房に任せちゃったよ」

仕事を辞めることの報告を一筆自筆で書き添えたいと言っていた律義な班長は
同時に職務に対しても律義過ぎて、今年も時間を取れなかったらしい。

「じゃあ、仕事辞めるって報告は書けなかったんですね」
「仕方ないんでな、葉書に印刷して貰って送ったよ」

毎年年頭にこんな会話を繰り返してきた気がする。
年賀状がまだ投函できてない、だとか、書面すら考えていないという年もあったっけ。

けれど、それも今年で終わり。

「…なあんだ。書けなかったら勇退延期ですよ、って言おうと思ったのに」
「おいおい、まだ俺を働かせる気か?」

明るく放った言葉に、これまた明るく返ってくる声。

限界では、ない。
きっとまだまだ働こうと思えば働けるんだろうとも思う。
引き止めたい気持ちは嘘ではないけれど
聞いた俺も
俺から聞いた平田もそれは班長に向かって口に出すことはしなかった。

だって、疲れた顔をしないで働くことがどんなに辛いことだったかを俺達は間近で見て知っている。
そして、疲れた顔をしないままで辞めることがきっと班長の生き方だってことも知っている。

「俺が辞めてもお前達がいるから辞めるんだ。止めてくれるなよ」

冗談めかした言い方のその中に混ざる信頼を示す言葉。
信頼の証が退職だなんて、笑ったらいいか泣いたらいいか微妙過ぎる。
勿論、泣きはしないし笑いもしない。

ただ、お前なら大丈夫だ、とも、頑張れ、とも言わなくても、その言葉で前を向いて行けるとは思う。

「…なら、来年は是非年賀状を手書きでください」
「ああ」

班長が手書きで年賀状を出してくれる来年という年がどんな年になるか
今年もまだ始まったばかりだからわからない。

でも、たったひとつ、わかってることがある。

律義な班長は必ず書いてくれるであろう年賀状を読む為に
俺達全員が今年一年を無事に過ごそうと思うに違いないってこと。

「約束ですよ」


…そして、きっと班長もそれを祈ってくれること。


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