山茶花


秋も深まって、紅葉していた自宅の庭の木々がすっかり冬を迎える準備を整える頃、片隅に白の花をつける木があって。
椿に似て、確かに椿の仲間ではあるのだけれど、椿ではないのだというその花の名はサザンカというのだと誰から聞いたんだっけ。
教えてくれたのは父だったか母だったか、それとも姉であったろうか、それはもう覚えてはいないけれど、とにかく寒い時期に花を咲かすんだけどね
本来温かい地域に育つというその花が自生出来る北限がこの日本なのだというのはそれから暫くしてから調べて知ってさ。
つまり世界各地に生えてる沢山の山茶花の花の中で、この地に生えてるものが一番の寒さを耐えている花なんだけど
日本に生えてる山茶花はそんなことは知らないで当たり前に生えてるんだ。

「そんなんだよね」

至極真面目な顔で考察を述べた室井に、短く、そうか、とだけ返して
そもそも何故こんな話になったのかと先程までの会話を落花生の殻を剥きながら思い返した。

ラウンジの隅で何気ない当たり前の会話をしていたように思う。
最近寒くなったもんだな、とか、西脇さんがコート姿で登場するのはいつ頃か、なんていう他愛もないことや
自販機に入った温かい飲み物のラインナップとか、最近出来た飲み屋の評判だとか、そういった様々な話を取りとめなくポツポツ語り合って
室班の業務だとか、新人だなんて思ってた奴がすっかり一人前の顔をしてたりすることに驚いたりだとか、時間が経つのが早いなんてことも話した。

”時間が経つのが早いと言えば、真田も副班長になってからだいぶ経ったよね”

そう言えば、少し酔いが回った室井がこう言いだしたのが先の話のきっかけはここだったように思える。

先の副班長は室井の姉、野田皐さんだった。
だった、と過去形にしてはみたものの、実のところ俺は彼女が休職を明けたら副班長という役職は彼女に戻すべきだ、と思っている。
女性である身体的なハンデを殆ど感じさせないのは努力あってこそのものであるのは間違いないことであり
それでもどうにもならない部分もあるにはあるが、洞察力と判断力が充分過ぎる程それを補っていた、素晴らしい上司だ。
だからこそ、引き継いだ当初は彼女のような判断やサポートが出来るだろうかと人並に悩んだこともあったが
少し経てば、自分は自分でしかないし、同じようにやることは無理なこともわかった。
野田副班長のようになれるとは思わない。
自分が無能だとは勿論言わないし、仕事に誇りもある。ただ、副班長としての才を求められても今の自分は野田副班長にまだまだ及ばない。
でもだからこそ人の力を借りることがいかに大切かもわかったし、実際、室井をはじめ、仲間の手を良く借りたとも思う。

そんな内容のことを話してすぐ。
室井が言い出したのが山茶花の話だった。

「他の木より厳しい環境に生えてることを当たり前に思ってる山茶花。他の花より強いことや、耐えてきたことを自分ではわかっていない山茶花」

小さく呟いて、空のグラスへとスコッチを割る為に用意していたミネラルウォーターを注ぎ始めるのを黙って眺める。
こうやって自分のペースがわかって自制が効くあたり、室井は本当にしっかりしている。
口調はいつもとさほど変わらず、呂律が回らないなどということも一切ない。
ただ、少し饒舌になっているだけで…そして論点がどこなのか、ぞの意味が何なのかがぼやけているだけで…決して、一方的なものではなく、何か俺に伝えたいのだということは良くわかる。
室井は誠実なのだ。どんな時もちゃんと人と向き合おうとしている。
だから、例えば少し酔っていたからって、口にする言葉に意味がないわけがない。

「…自分のことは自分が一番わからない、それは仕方ないことなんだろうけど」

次の言葉を待ってぼんやり眺めていた俺の目の前で、くいっと室井が煽り飲んだ水は一息に半分程減っていた。

「案外、自分が普通だと思っていることが凄い特別なことかも知れないと思わない、真田?」

柔らかく細められる眼差しは、酔いの為に緩んでいるのじゃないことは短くはない付き合いでわかる。
言葉なくふと笑い合うと、二人の中間に置かれた落花生を手に取って室井も割り始めた。

「日本よりずっとあったかいところで咲く花も一杯あるのに、日本で咲く山茶花がある。もしかしたら温かいところの山茶花の方が花は大きいかも知れないし、違う山茶花の方が色が白いかも知れない」

優しい耳触りの声が続ける。

「でも、俺は毎年毎年寒さの中で咲く山茶花が美しいと思うし、ちゃんと咲けるのは当たり前なことじゃないかなって思うんだ」

落花生を割る音が拍子を取るようにして語られたそれは、大袈裟に主張するわけでもないのにきちんとした意志を持って俺に届いた。

「…室井」
「うん?」
「何で山茶花なんだ」
「え?」
「どうして山茶花の花を思い出した?」

言いたいことは何となくわかったが、だからといって何故山茶花なのか。
割ってばかりだった落花生の中身をひとつ摘まんで薄皮を剥ぎ口へとほおると、室井も同じように口に入れ、咀嚼しながら、ううんと唸った。

「何となく、その花が」
「うん」
「ここにも咲いている気がして」
「…そうか」

何の気負いもなく呟いた室井に、また同じ言葉を返す。
どんな山茶花よりも寒いところに生えているなんて、山茶花はきっと気付かないままだろうし気付いたところで変わることもないだろう。
ただ、咲くことを楽しみにしている人もいる、庭に咲いているのなら育ててくれる人も、力を貸してくれる人もいる。

「室井がそう思うなら、きっとここにも咲いているんだろう」

厳しい場所にあったって毎年当たり前に花を咲かせること。
それだけが山茶花の望みだろうし、山茶花を待つ人の望みだろうし

きっと山茶花が山茶花であることの意味だ。


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