凜
「山下さん、お疲れ様です」 「お疲れ様です…って、あれ、さっき帰らなかった?」 勤務時間を終えてから、先程まで自室の冷蔵庫で保管していた紙袋を一つ下げて班へと戻ると 本日の夜勤の山下さんがコンピュータにデータを打ち込む手を止めて座ったまま椅子を回転させ意外そうな顔で振り返った。 「一回帰って、これ取ってきました」 「これ?」 「はい、これです」 差し出したそれに小さく首を傾げる仕草はあまり見たことがない。 むしろ、この人の前で自分が行っていることの方が多かった気がするくらいだ。 手は伸ばされたが、その顔付きが明らかに意味を計り損ねているといった風だったので慌てて種あかしをする。 「昨日、義姉さんのところに顔を出した時に預ったんです。お土産です」 「お土産?」 「兄さんに持たせると忘れそうだからって僕に」 「ああ。皐さんらしい」 ほっと和らいだ笑顔は、僕の向こう側に居る義姉さんに向けられているものだろう。 家族がこうして愛されていることを確認すると、胸がほっこり温かくなる。 女性隊員は今でも隊では少数だ。 その分、女性隊員同士の繋がりは強い。 誰と一番仲がいいとかいうことはわからないけれど副班長同士だったこともあって山下さんと義姉さんは親しかったと思う。 骨格も基礎体力も違う女性がこの隊でやっていくにはまず出来ることから逃げないことだ、と義姉さんは言っていた。 だから、暇さえあればジムにも通っていたし、格技系の鍛練も怠っていなかった。 女性だから出来ないことは勿論あるけれど、努力すれば何とかなることは全て男性と同等に出来るようにしておきたい。 対抗意識からではなく、私も彼らも同じ隊員なのだから、と、そう告げられた。 勿論、目の前のこの人と義姉さんは違うタイプだけれど立場からしても同じ女性としても、きっと同じような心意気を持って仕事をしてきたのだろうことはわかる。 「…可愛い」 受け取った紙袋の中を見て、山下さんの顔が綻んだ。 中に入っていたのは透明なケースに入った雛人形を象った小さな砂糖菓子。 「…飾っとこうかな。今日飾れば一日飾りじゃないし」 取り出した手で自分のPCの冷却用のファンのすぐ隣へと、それを置いた。 普段は全く色のない場所がぱあっと華やかになる。 「昔から、こういうバランスは敵わないなあ」 「はい?」 「…皐さんにね、言われたことがあったの」 ちょんと箱に指先で触れると中で微妙にお内裏様が震えた。 「『女であることは弱味じゃないわ。男性と同じように仕事が出来ない部分はね女性にしかできない仕事をするのよ』って」 言い放つその姿が目に浮かぶようだ。 そして、それをきっと強い眼差しで受け止める物静かな当班の誇るべき副班長の姿も。 「だから、遠慮なく言うの。可愛いものは可愛い、綺麗なものは綺麗だってね」 可愛いものは可愛いというし、綺麗なものには目を輝かせる。 それは当たり前のことだ。 僕だって置かれた雛飾りを見た時可愛いと思ったし、女性の方が繊細な部分まで感じ取れるとはいうけれど思うこと自体に変わりはない。 女性だから男性だからではない感情だと思う。 仮にもし『そんな気持ちは軟弱さだ』と蔑視するような人間が居たとしても、そんなことは気にすることはない。 だって、この世の中にある美しいものや可愛いもの綺麗なもの、愛おしいと思うもの …それは目に見えない精神であったり心や風景であったりもするけれど… それらを守ることも僕等がここに居る理由なんだから。 「でも、まあ理路整然と並んでいるプログラムを綺麗だと感じるのはちょっと全人類的に見ると少ないかもしれないけど」 「僕らは思いますけどね」 「うーん、私達が例外的な?」 「そうなんですか?」 「そうみたい」 ほら、ここでだって男性も女性も関係ない。 …関係ないのに。 『女であることは弱味じゃないわ』 きっと、女性であることで沢山の心ない声にも立ち向かっていったからこその言葉なんだと思う。 義姉さんも、山下さんも、そして隊に居る女性隊員たちも。 きっと男である自分達ではわからない程沢山のことを乗り越えているんだ。 強い人達、格好いい人達。 「ありがとう、届けてくれて」 少し笑い合った後、山下さんが小さく頭を下げた。 僕も頭を下げて、それじゃあ、と退席しようと出口に向かう。 今の自分の心境を伝えるのにとてもいい言葉を僕は知っている筈なのに、中々思い出せない。 出口まで辿り着き振り返ると、山下さんはまだこちらを向いていてくれた。 他の隊員がいない部屋で一人で働く山下さんに対して、頼りないなんて間違っても思わない。 そんなに自己主張が強い人ではないから目立たないけれど、この隊にも班にも必要不可欠で、僕達の目標の格好いい人。 「あ」 ふとストンとひとつの単語が胸の中に落ちてきた。 兄さんが良く義姉さんに言っていた言葉。 その気持ちが今、とても良くわかった。 そうか、こういう時に使う言葉なんだ、と思って、実の兄ながら兄さんの感覚にも拍手を送りたいと思った。 「あのう、あのですね!」 「どうしたの?」 「俺、思うんですけど」 男性にだけに使う言葉じゃないことは知識としては知っていたけれど、だからと言って、どんなことを指すのかもピンとこなくて 今まで女性に使ったことはなかったけれど。 「この隊の女性はみんな…当然山下さんもすごく『ハンサム』です」 知的で格好良くて、キチンと自分を持っていて清しい。 山下さんは少しポカンとした後、ふふ、と笑って 「とても凄い褒め言葉を頂戴してありがとう」 それはそれは丁寧で綺麗なお辞儀をしてくれた。 Index |