能ある鷹


それまでは…認めるのは些か不本意ではあるのだが…自分のことに手一杯で同期の彼が何を思っているのかも取り巻く環境も理解していなかったのだ。
七光りだの、生意気だのと周囲からの雑音にようやく慣れ
自分自身が落ち着いて仕事に取り組めるようになって初めて周囲の声を聞き取る余裕が出来た時、愕然とした。
自分だけではなかったのか、と。
人のことを時に諫め、慰め、宥めていた彼も、恐らく言われ続けてきていたのだ、と。

康はあまり自己主張をしない男で、こと職務においてはそれが顕著であった。
淡々と責務を果たし、飄々と指示を出す。
怒号というものを任務中以外で殆ど聞いたことがない。
だからこそ事件や事故で浮き足立ちそうになる隊員の抑えにもなっているし余計な力みを取り去っていい結果に繋がっていると私も少なくとも隊長もそう判断している。
だが。
そうと考えつかぬ者やそれを知らぬ者には優秀ではあるが可もなく不可もなく、どこかボンヤリとしたインパクトに
欠ける班長…何が良くて班長なのかわからない、西脇と比べると見劣りがする。
…となるらしい。
私が近付いていたことも、衝立を挟んで置かれたベンチで康が珈琲を飲んでいることも知りもせず
今年入隊予定で研修でやって来た訓練校生二人も、国会警備隊の外警班長と官邸警備隊の外警班長の違いをそんな風に話しているところだった。

「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「康もお疲れ」
「…お疲れ様です、副隊長」

まず訓練生に一声声を掛けた後、すかざず康にも声を掛ける。
びくりと肩を竦ませた二人組は慌てて席を立ち、衝立の向こう側を確認するや否や顔色を変え、『お疲れ様です!失礼します!』とコメツキバッタのように頭を下げたかと思うと、疾風のように走り去っていった。

「お人が悪いですよ。これから入隊してくる隊員を脅かすなんて」
「衝立の向こうで陰口をこっそり聞いてる奴に人が悪いなど言われたくない」
「陰口でもありませんでしたよ。それなりには正当な評価でしたから」

クルクルと手の中で紙コップを回しながら僅かに口角を上げてみせる康の笑みは手の内を読ませない外警班長の食えないもので非常に気にいらず、足の爪先で相手の脛を少し強めに突いてやれば表情が驚きに崩れた。

「何?」
「今は休憩中だ」

言外に敬語を外せ、と睨みつければ、それだけでわかったらしい。
行儀悪く近くのゴミ箱へと紙コップを投げ入れると下ろしていた足を組み、膝の上で肘をついて、こちらの顔をマジマジと見てくる。

「怖い顔してるね、尾美」
「誰のせいだ」
「え、俺?」
「自分じゃないとでも言いたいのか」

すっとぼけた答えに眉間に力が籠る。
多分、随分深い皺が寄っているであろう。
皺が寄ってるよ、などと言われないうちに本音を聞き出そうと隣へわざと音を立てて座り込む。

「それで」
「うん?」
「何故、何も言わないんだ」
「何故って。衝立の向こうから今評価してた男が顔出したら、俺だったら泣いちゃうし」
「お前に泣くような可愛げがあるものか」
「酷いなあ」

頬杖をついた手の指で目元を拭う仕草をしてみせた康は、何も気にしていないといった風で
言われた本人でもない自分の方がよほど熱くなっていることに気付いてしまい、溜まっていた苛立ちを逃すように息を吐いた。

「今の話だけじゃない。ずっと言われていたんだろう?」
「ああ、そういうこと」
「言われっぱなしでいいのか」
「実際、西脇凄いしね。逆に西脇以外と比べられたら微妙だけど、西脇と比べられんのは前からの話だし」

西脇と康は外警班だという点と、どこか泰然とした態度に共通したものを感じ取る者が多く、それこそ訓練校の時代から延々脈々と比較され続けてきた。
しかしまさかここでまで…班長になってまで続いているとは思ってもみなかった。
私も石川と随分比べられていたし現段階でも比べられていることは確かだ。
優れた同期がいるということは張り合いにもなるが、同時に常に比較されることでもあると身を持って知っている。
知っている筈なのに何故それが康にも続いていると思いもつかなかったのか。
自分の最近までの余裕の無さと視野の狭さに呆れる。

「西脇に比べて俺が見劣りするってのも言われ慣れたしなあ」

呟いた康の表情はいまだ飄々としたもののままだ。

「まあさ、比べられてるだけで、仕事出来ないって言われてるわけじゃないしさ」
「それはそうだが、西脇に比べて見劣りがするなどと言われていること自体、私は納得できない」
「へえ。尾美は認めてくれてるんだ?」
「は?何を今更。最初から認めているだろう」

誰が何と言おうとも、外警班長に相応しい人材だと長い付き合いの欲目ではなく思うし、それが間違いだとは誰にも言わせない。
告げた私の顔をまじまじと言葉無く康は暫く見つめ、やがて目を細めた。

「尾美がそう言ってくれるなら比べられてるのも悪くないな」
「だから、どうしてそうなる。お前ほどの男が侮られてるんだぞ。もっと腹を立ててもいいところだろう!」
「まあ、尾美が俺の代わりに怒ってくれてるし、俺はいいかなって」

のほほんと言い放ち、ベンチから立ち上がった康は
手を真上で組んで、ぐうっと伸びをし、”んー”だか”なー”だか”むー”だか間の抜けた声を上げる。
途端、今まで身体中に籠めていた憤りが一気に抜けていく。

「…お前は本当に暢気だな」

首を左右に倒してから肩を回し始めた男はそうかな?などとまた暢気な声を上げた。
背中を向けているから表情は見えないが、きっと声と同じ間の抜けた顔をしているだろう。

「だってさあ、俺と西脇を直接知らない人が言う評価やら西脇との比較なんて本当の実力知ってるわけじゃないし、今のところは実害はないし。俺は西脇と高め合えればいいと思ってるからさ」

時計をちらりと見たのだろう仕草が後ろから見てもわかり、私も自分の時計に目を落とす。
通常通りに休憩を取ったのだとしたら、恐らくあと十分程度休憩は残っている筈だが
外警は表まで出る道程があるから、いつも少し早目に切り上げるのは良く知っていた。
決着はつかないし、恐らく意見は平行線のままだろうから、この話はここでおしまいになるのだろう。

「結局、俺と西脇を比べる人ってのは深く知らないか、実際そう思ってるか、俺達の間に波風立てて楽しみたい人なんだろうし」

緩く足の筋を伸ばすストレッチをしながら康が続ける。

「知らない人には徐々にわかってもらえばいいし…さっきの子達にもさ。実際そう思ってるって人にはそう思われないように精進するとしか言いようがないし…波風立てたい人には、俺達同期の間にそんなくだらないことは通用しないことなんてすぐわかるだろうから」

康の言いたいことは良くわかる。
私だって西脇に余計な競争心を持てと言いたいわけではないし、健全なライバル心で高め合いたいとも思っている。
けれど、どこかで歪めようとする人間もいるのだ。

「わからない人間にはどうするんだ」

呟いた私の声を拾ってだろう、康が動きを止めた。

「もし。それが悪意で。もしも侮りが俺でなくて、尾美だったり、この隊を侮るものならば」

途端、空気が変わった。

「散々こちらを嘗めているだろう相手のガードが甘くなっているだろう胸元に飛び込んで」

振り向いた顔は笑っていたけれど、視線は、私の後ろの見えない何かを鋭く見遣り。

「光速でアッパーカットを打ち込んでやるよ」

散々、康が侮られていることに憤っていた筈の自分でも、それは一瞬身を竦める視線だった。
穏やかな顔も決して嘘の顔ではないが、けれど、それだけでない男だということも私は知っていた筈なのに
そんな私でも、息を詰めてしまう空気が場を包んだ。

「ま、そんなことにならなきゃいいなと思っているけどね」

それじゃ、お疲れ様。
もう先程の空気などまるでなかったものみたいにいつも通りの空気を纏い、ひらりと手を振って去っていく。

康が繰り出すアッパーカットとやらは寸分違わず狙い通りの場所に狙い通りに決まるだろう。
そしてその一撃は、皆の康の印象を容易く変えてしまう。
目立たないモノトーンの中に一筋鮮やかに蛍光色の色が差せば強烈な印象を残すに違いない。

そうわかっているのに。

「でもそれをお前は」

『この隊を侮るものならば』

「自分の為には使わないんだな」

呟きは届かないとわかっていても唇は動き、角を曲がり消えようとしている外警班長の背中へと言葉を送った。


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