いずれのきおく


仕事を終えての帰り道。
疲れた身体を引き擦るようにして着替えの為に寮へと歩みを進める。
食堂があって本当に良かった。
この状態では作るのは勿論、表へ食べに出るのだって難しい。
しかも美味しいのだからいうことはなしだ。
ふと口角を上げて、途端に感じる刺激に眉を顰める。
怪我をした頬を撫でると鈍い痛みが熱と共にじんと広がっていく。
咥内にも少し影響しているから食事は少し柔らかいものを作ってもらえるようにお願いしよう。
噛むのもしんどい気がする。

ここ最近、立て続けにテロが起こっている。

昨日は軽い脳震盪を起こして倒れているところを助け起こされた。
発煙筒が焚かれて第一砲が撃たれた後、指示を出したところまでは確かだが
狙撃されてからの記憶は抜けてしまっている。
どうやって助かったのか、覚えていない。
気付いた時に目の前にあったのは西脇の顔だった。
どうやって助かったのかと問う俺へ
『またひとつ強運の星を手に入れたってことですよ』
なんて良くわからないことを言っていたっけ。

部屋の入口でカードキーを探す。
手に巻いた包帯がつかえて中々ポケットに手が入らない。
左手だからと言って生活に不具合がないわけではない。
仕事の上でも勿論だ。

少し力を込めてポケットへと入れたからか見つけたカードキーをかざした手の包帯は解けかけていた。

巻き直さないといけないな。

開いた扉から室内に転がるように入ると同時にそう思い
けれど、閉じた扉の中、暗い室内で息を大きく吐くと同時にその場にしゃがみ込んでしまう。

今日も何とか一日が終わった。

毎日が慌ただしい。
仕事に対する充足感は勿論ある。
自分のことを信じてついて来てくれる仲間が多くいる今、以前に較べれば心労というものも減ったのだろうとも思う。
しかし、勿論仕事量が減るわけではないのだ。

弱音を吐きたいわけではないし、自分が選んだ道に後悔はない。
けれど、疲れた、と心も身体もそう告げることを止めることはできないのだ。

壁に手をついて、立ち上がる。
室内は寮内に入る暖房の影響か冷え切っているわけではないが、やはり寒さが広がっていた。

「ただいま」

返ってくる声がないことは百も承知で呟き、ベットに仰向けで倒れ込んだ。
ぎしり、大きな音を立てて軋む音がする。

「…?」

明かりを点けない室内に、それでも薄っすらと広がる白い光。
仰向いたままで光源を捜し、それが空から降る月明かりだと気付く。
それは包み込まれるような、心落ち着くような、けれどまるで逆に浮き立つような感情も呼び起こす光。

月光ってこんなに明るかったか?

問おうとして開いた口を、ゆっくり閉じた。
誰もいないこの部屋で誰に問うというのだろう。


緩く瞳を閉じると瞼の裏に浮かぶ、白い光。
その白さが昨日見た煙と重なって、その煙の中に何か見えるような気がして
それが何かを思い出せないもどかしさに手が伸びた。
触れればわかるような気がする。

「…何してるんだ、俺は」

垣間見えたその光景は手など届くことのない記憶の中にあるというのに
開いた目に映るのは必死で伸ばした手の先でそれは宙に浮いたままだというのに
それがわかっているのに

「…何を探しているんだ?」

ひとりの部屋で、今度ははっきりと自分に問う為に声にした。
答えは勿論返ってこない。

その白い靄の中に、俺は一体、何を忘れてきたんだろう。
何を探しているんだろう。

再び瞼と腕を下ろす。
睡魔という抗えない力がそのまま自分を浚っていき
そんな中で、それでもどこかで意識が囁いてきた。

ああ、食事を摂りにいかなければ…。



開いた目の先にあったのは、SPとして赴任する予定の男の履歴書だった。

しばらく現実に戻れずに、頬を撫でる。
覆っていたガーゼが消え、傷は多少かさぶたが残る程度になっていて、やっと夢を見ていたのだと思い知る。

業務が終わってからすぐに委員会からSPを派遣することになったということ
それが来週からという連絡を一方的にこの履歴書と共に受けた。

書かれていた経歴は立派だし、経験も積んでいる。
この人事は本人の希望だという。
ISPLの推薦もあったというのだからSPとしても補佐官としても恐らく優秀なのだろう。

しかし、優秀かそうでないかなんて関係はないのだ。
誰かを盾にしたいなどと思ったことはないし、必要だとも思えない。
必要だと思う日が来るとも思えない。

突っ伏していた顔を上げると
飛び込んできたのはデスクを照らすライトの光だった。
どこからが夢で、どこからが現実だったのだろう。
眩しいそれに夢の中の触れることのできなかった何かが思い出される。

「…何を探してるんだ?」

夢の中で言った言葉を口の中で呟いて、席を立った。

心の中で揺れる白い光、靄のかかった向こう側。
それをいつかこの手で掴むことが出来るんだろうか。

手にすることの叶わなかった夢の中の白い光の代わりに握り締めた目の前の履歴書を何気なく折り畳んでポケットに突っ込んで
夢の余韻から抜け出すべく、点けたままだったデスクのライトのスイッチを切った。


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