ふゆのなかやすみ


その小さな犬は私を見ていつも駆け寄ってくる。
優秀な隊員であるのに可愛らしいその姿は懸命で、つい足を止めて待ってしまうことも多い。

「こんにちは」

彼の背丈に合わせて屈み込み、挨拶代わりに背を撫でる。

「今日は誰から逃げてきたんですか?」

首輪に引き綱は当然ない。
彼は賢く、留め金を外してしまうのだ。
外警班の班員が青くなって探しているところだろう。
無線に手を掛けると、隣に立っていた優秀な補佐官が既に自分のマイクから外警に連絡を取っていたところだった。

「…今日は本木だったようです」
「おや、彼から逃げ出せるとはたいした健脚ですね、ダグ」

尻尾を振る彼の身体を腕の中へ柔らかく抱き締めて閉じ込め、立ち上がると再び歩き出す。
まだ今日の巡回中、本木とは行き会っていないから恐らく正面ゲート付近担当なのだろう。

「でも、もう少し、手加減してあげてください」

風が吹きさえしなければそれなりに暖かい陽射しでは陽気に誘われて遊びに出たくなる気持ちもわからないではないが
脱走しては官邸に行ってみたり、裏庭の枯れ葉に埋もれてみたりでは探す隊員達も心配でならないだろう。

「あなたが何かのきっかけで居なくなったりでもしたらどうしようかと、皆、そう思っているんですよ?」

彼の行動は、赴任して隊員達と親しくなってからすぐに聞いた。
孤独に自分を慈しんでくれた飼い主を死に至らしめた犯人を探していたこと。
小さな身体で、精一杯に戦ったこと。
彼はまるでこの国会警備隊の隊員で初めからあったかのような勇気を示したのだと、誰もが自慢げに言っていた。
それだけ彼が愛されている証だ。

「…どうしました、マーティ?」
「何でしょうか?」
「私に内緒で面白いことでも発見しましたか?」

優秀なSPでもある彼が仕事の最中だというのに軽く口元を緩めているのが横目で確認できて、咎めるつもりは当然ないので問い掛けると

「いいえ、副隊長」

マーティはそれでも緩む口元が押さえられないのか手で覆い、小さく咳払いをしてから続けた。

「副隊長が語っている内に」
「…おや」

胸に向けられた視線の先を確認するとダグは既に眠っていた。
睡魔に連れ去られるあまりの早さに瞬きを数度繰り返す。

「きっと、副隊長の声が気持ち良かったんだと思います」

マーティの声も心持ち抑え気味なのは、この安らかな眠りを妨げない為だ。

「でも、わかるような気がします」
「何がですか?」
「眠くなる理由です」
「私の声が?」

初めて言われる類の言葉に驚いているものの、日頃の癖というのは恐ろしいものでそれはほとんど表に出ることはなかった。
マーティも私の驚きには気づかなかったのだろう。
少し後ろに下がって歩き、周辺を確認しながらも、言葉を続ける。

「正確には、声ではないのかも知れません」
「声ではないですか」
「話し方…というか副隊長が居ると安心なんだと思います」
「私がいると?」

不思議なものだ。
彼にとっての私は後から入ってきた、いわゆる新参者であり
赴任してすぐの状態からすれば、愛すべき彼のボスである隊長と敵対するものとして認識されても仕方がないポジションに居た人間だった筈。

それが、存在だけで安心して眠ってくれるようになった、ということだろうか。

「ダグだけじゃありません」

マーティの声は、柔らかく今日の陽射しに似ていた。

「副隊長が居てくれるだけで、皆がひどく安心しているのをご存知ないですか?」

沢山の戦いの場に身を置いてきた。
友情や信頼はどの現場でも生まれてきた、連帯感も。
けれど。
深く信じることはなかった。
裏切られることも怖かった。
でも。

「皆が、副隊長を大切に思っています」

この隊ならば、深く信じてもいいのだと素直に思えた。
大事にしていきたいと思う隊員達がいた。

それと同じように、私個人が隊員達に受け入れてもらっているのだろうか。
それなら本心から嬉しい。
既に私も、ダグと同じように彼らを大切に思っていて、彼らと共にあることに喜びを感じているのだから。

「しかし」

腕の中のダグを見て、少しばかり心配が頭を過る。

「そうなると朝礼で気をつけなければなりませんね」
「何をです?」
「私が喋ったら、皆が寝てしまうかも知れませんから」

しばしの沈黙の後、マーティが珍しく職務中なのに吹き出し、その音で胸の中のダグがもぞりと動いた気配がしたけれど


「…何でもありませんよ」

声を掛けると再び、穏やかな眠りに落ちていった。
その柔らかな身体からは、マーティの声音と同じような、ひだまりの香りがしていた。


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