ひとりでないなら


ベンチに座り、手には缶コーヒーを携えて、ぼんやり空を見上げている。
その横顔は見覚えどころか、良く知る同期であり友人のもの。

何を見ているのか。

目線の先を見遣ると見上げた闇色の空に突如浮き上がる桜。
柔らかな花弁が風に揺れている。
いつも通っている店が改装中で少し離れた場所にあるコンビニに買い物へ行った帰り道。
遠回りして春の宵のそぞろ歩きの最中。
同期の視線に教えられたその景色は息を呑む程に美しかった。

たった一本しか生えていないからか
はたまた都心の小さな公園は宴会をするような場所でもないからか
街灯で照らされた見頃の桜の下の見物客は彼たった一人。

「真田?」
「?」
「俺」
「ああ、室井か」

公園の入口まで回り込むのは距離がありそうだったから
行儀は良くないけれど歩道と敷地を仕切る為の柵を乗り越えて園内に入る。

「お花見?」
「コンビニの帰りに目についたから休憩」

見れば確かにベンチには自分が持っているのと同じ買い物袋が置かれていた。

「こっちあんまり来ないから、こんなところ有るなんて知らなかったよ」
「俺もだ」

言って袋を少し自分の身体へと寄せる。
真田はこうしてさり気ない気遣いが出来る奴で、けれど感謝など言えば、ポーカーフェイスで何のことだかわからないなんて返されるに違いない。
短くはない付き合いでそれくらいのことはわかっているけれど、それでも会釈はして空いた場所へと腰を掛けた。

「あ、菜の花も咲いてるんだ?」
「菜の花?」
「ほら」

訝しげな声へと、その花を指し示す。

木の根元に咲いた黄色い花。
昨日の寮の食事に菜の花のおひたしが出て、春の気配を料理で教えてくれる調理班に有り難いなと感じたばかりだったことを思い起こした。
まだ散るにはだいぶ早いから降ってくる量は決して多くはないけれど
白に淡く桃色を混ぜた花びらと目に鮮やかな黄色の花は太陽の下でなくても充分に生命力に輝いて美しい。

「綺麗だな、春になったんだって感じ」

買ってきたものの中からペットボトルの烏龍茶を取り出して蓋を開けようと捻りかけて気付いた。

「連勤、終わったんだ?」

シフトが擦れ違い、昨日までさっぱり顔を見ていなかった彼がここに居るということは、少なくとも今晩はシフトに入っていないということで、この時間に表に出ているということは明日の朝からでもない、ということ。

「お疲れ様」
「そっちも」

差し出されたコーヒーの缶にペットボトルをぶつけるといったあまり格好も音も良くない乾杯に思わず吹き出すと、真田も口元を綻ばせているのが薄明かりの中でも見えた。

けれど。

…少し顔色が良くない気がする。
目の下にクマが出ている感じ 。

「真田は頑張れちゃう奴だから、俺が役立てることはないかも知れないけどあんまり無理しないでな」

将来はきっと隊を纏める一人になるんだろうと思う真田。
何でも一人で器用にこなすし、仕事の面では何も不安はないけれど。
あまりに一人で何でもできてしまうから本当に大丈夫なのか心配になる瞬間があるのだ。

「室井もな」
「俺?俺は大丈夫」

ペットボトルに口を付けると思いの他まだ冷えていて反射的に口を離すと
自分の動作の一部始終も見ていたらしい真田が眼鏡の中心に指を当てて押し上げた。

「今は大丈夫じゃなかったみたいだけど?」
「ちょっとびっくりしただけで、大丈夫だった」

若干の照れくささを誤魔化す為に烏龍茶を再び喉へ流し込むと、横から至って真面目な声音が聞こえた。

「室井が大丈夫なら俺もしばらくは安泰だ」

それはいつものからかい交じりのものでもなく
暗い夜に吸われて消えてしまうくらいにささやかで密やかなものだったけれど
俺の耳にはちゃんと届いた。

「俺に見えないものを室井は見て教えてくれてるからな」

あまりに意外で口を開けたまま暫く呆然を真田を見て。

「…本当に真田?」

失礼ながら空いた片手で相手の肩をペタペタと叩いて確かめた。

「それ以外の何に見える?」
「だってやけに言うことが素直で」

呆れたような口調も言葉も紛れもなく真田なんだけれど、先に言われた言葉が普段見ることのない真田だったし
それに自分のことをそんな風に評してくれるなんてことも思ったことがなかったから。

「桜の花には魔力があるっていうし真田に化けた何かということもあるのかと」

勿論本気ではないけれど、でも、そう疑ってしまうくらい自分にとって驚きの発言だった。

「…何から突っ込めばいいんだ。桜に魔力がないことか、それとも俺が素直なことがどうおかしいのか、か」

ポーカーフェイスのままで大きく吐かれた溜息。
不思議なものでいつものポーカーフェイスだからこそ次第に胸が温まる。

「ああ、確かに真田だ」
「そこで納得する室井も紛れもなく室井だがな」

実際の俺がそう在れているかどうかは正直自分ではわからないけれど
真田がそう思ってくれているのなら、俺はそういう俺で居たいと思うし、そうなってみたいと思う。

「真田も俺に見えないものを沢山見てるよ」

俺に見えないものを真田が見て
真田が見えないものを俺が見て
そうしてお互いが見えなかったものが見れるようになるなら。

「桜、綺麗だな」
「うん、綺麗だ」
「菜の花も綺麗だ」
「うん」

きっと

色々な可能性も世界も広がっていく。


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