花咲く木 花咲かぬ木


訓練校生のいなくなった寮はガランと空っぽだ。
普通の専門学校や大学生と較べれば規律に厳しいものの、若い男子…一部女子も居るが大半は男子だ…が集まれば、それなりに騒動は起こる。
勿論、目の前の壁に痕跡を残す、現在の国会警備隊の主要役職に就いている奴等が起こした『室内花火大会』事件より派手な出来事は起こってはいないものの
毎年、何かしら伝説として語り継がれる出来事が残っている。
喧嘩もしかり。
部屋の使い方にゴミ捨ての順番などといった細々としてはいるものの大切な生活のルールから
将来の国会警備隊の運営の仕方に至るまで、様々な事柄で話し合い、時にヒートアップして
時折は殴り合いに発展して怪我をする奴等も出てくるものだ。
喧嘩を是とはしない。
しかし、いかに自分の主義主張と他人のそれとを突き合わせ、互いに納得がいく折衷案を生み出せるかの訓練にはなるだろうとは思っている。
国会警備隊は大所帯だ。
官邸警備隊も少数精鋭とはいえ、一般企業の部署に比べて在籍数が決して少ないわけではない。
その大人数の中で、自分の主義を貫くことができない場面だってある。
自分の気持ちは二の次にしなければならないことだって数多くあるに違いないのだ。
いくら実力があっても、協調性がなければ隊員は務まらない。
だからこそ若い彼らがここでぶつかり合っていく中で、協調というものを覚えたのなら喧嘩も悪くはないだろう。

「どうした?」

空の部屋の隅々までひとつひとつ見て回った最後の一室。
俺を手伝う、とやって来て、明日入寮してくる訓練生の為の案内を先程まで別室で作成していた筈の榎木が居た。
窓の外から表をボンヤリ見ていたことが恥ずかしかったのか少しばかりはにかみ気味に

「お疲れ様です。懐かしくて、つい」

と笑いながら言った後、ぽりっと頭を掻いた彼もまたここに住まう住人の一人であったことを思い出すと同時に、あ、と思わず声が出る。

「この部屋だったな」
「はい」

211号室。
榎木が訓練校に在校していた時に住んでいた部屋だ。
確か、西脇と宇崎、それにクロウと一緒だった。

「そんなに長い期間でもなかったんですけど、短くてもとても鮮烈な思い出で」

強い信念を持って入学してくる訓練校生が殆どの中でも榎木は特別な部類の意志も持っていた。
父親が犠牲になったようなテロの犠牲者をこれ以上出さない為に、そんなDGを作る為に、と。
元々警官だったこともあってか、まだひよっこばかりであった周囲よりも物事の見極めも実技も強かったし、穏やかな言動や人となりもあり、周囲からも信頼を寄せられていた。
たらればの話は好きな方ではないが、もし無事に卒業を迎えていたとしたらきっと優秀な隊員になっていたことだろう。

しかし、そんな慰めが何になるというのだろうか。

第一、こいつはもう立派に次の道を歩んでいて、信頼できる俺の同僚になったし、沢山の教え子にとっては『教官』になった。
入学当初に目指した仕事でなくても、立派に目指した方向へは向かっているのだ。
榎木が大切に育て見守った訓練校生達は、それぞれの道へと進む。
勿論、国会警備隊にも官邸警備隊にも配属されて人々を守る仕事に就き、榎木が夢見た未来を榎木が鮮明に覚えている記憶を共有する仲間達と作り上げていく。
それだって立派に『DGを作ること』の一翼だ。

「今、210号室行ってきたとこなんだが、お前、見てくるか?」
「見てくるって…ああ、噂のバーベキューの部屋でしたっけ?」
「そう」
「跡残ってるんですか?」
「残ってるも残ってる。この寮の名物みたいなもんだし、見て帰ればいい」
「じゃあ、そうします」

ふふ、と笑って、また窓の外に視線を向ける、その目元に小さなほんの僅かな皺が見えた。
加齢によるものではなく笑い皺なのだろうと思われるそれに、少し安堵を覚える。
ああ、幸せなのだ、と。
榎木は、勿論理不尽な暴力で夢を断たれた人間ではあるけれど、今は幸せに暮らしている。
沢山の卒業生の中でも隊に残れる人間は限られていて、榎木のような断たれ方でないにしても、挫折を味わう者も少なくない。
一般の警備会社に就職する者もいれば、一般企業に入るものもいる。
けれど、皆が笑っていてくれればいいと思うのは、やはり自分が紛いなりにも教官と呼ばれる立場だからだろう。

「お前、二年にあがる訓練校生に自分の話をしてやってくれないか」
「え」
「お前の言葉で、お前がこの仕事に就くまでのことを伝えてやってくれないか」

夢を諦める時に訪れる寂寞や挫折は当然一人一人が受け止め、乗り越えるべきもので、そこに誰も手を貸すことは出来ない。
けれど、それが『終わり』ではないことを伝えることは出来るだろう。
ひとつ夢が終わってもそれで終わりではないのだと知ることが出来れば、きっと、少しでも早く立ち上がり、次の道を探そうと考えることが出来る。

「自分で良ければ」

短い返事は、けれど、充分に俺の気持ちが理解できているそれで、目に映る柔らかい色の夕焼けが目の中へと映り込んで、光っていた。
新しくこの部屋に入る訓練校生達も同じようにこの部屋から、目を光らせて景色を眺めるのだろう。
そういえば窓の外に、何かがあるのだろうか。
先程から表を見ている榎木が気になって、並び立つと、問いたい内容がわかったようで
すいっと指が持ち上げて、一昨年の卒業生が植えていった木を示した。

「あれを見てました」
「あれ?」
「はい」

周囲にはまだ桜も咲いているのに、見ていたその木は緑の葉をつけた若く細い木であった。

「花が咲いている木だけが美しいんじゃないんだなと、思っていたんです」

ぽつり、呟いた横顔を凝視する。

「花が咲こうが咲くまいが、木がそこで真っ直ぐに立っているのだけでも十分に美しいって」

花を咲かせる木ばかりではないし、元々花が咲かない木も、蕾がつかない木だって沢山ある。
いや、逆に言えば、花を咲かせ、皆の目を喜ばせる木こそ少数だ。
目を惹くのは美しい木であるけれど、どの木もただひたすらに生きているのだ。

「勿論、花咲く方が楽しめるかもしれないですけど」

俺の沈黙をどう捉えたのだろう。
自分が言っている意味がわかりづらかっただろうか。
そんな風に感じたのだろう。
榎木が慌てたように付け足す。

「咲かない木だって咲き終った木だって、花がなくたって緑だけだって綺麗だって」

そう思っていたんです。と言って、またひとつ頬を掻いた。

「…ああ、そうだな」

一言だけ言葉にすれば、ほっとしたように息を吐き、また言葉なく木を見つめる。
咲かなくたって、咲いたって、その場で踏ん張って生きていることになんの変わりもない。
改めて見遣った若い木は左右に揺れながら、それでも真っ直ぐ歪みなく、そこに立っていた。


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