雨の後には


しっかりと温度も湿気も調整され、室内にいる限りは天候に左右されることはないけれど
雨が連れてくる雰囲気というのは一種独特で、そういった曖昧なものはどんなに管理されている建物の中にだって忍びこんでくる。
それはささやかに聞えてくる雨音のせいかも知れないし、昼でも薄暗く空を覆う雲のせいかも知れないけれど
とにもかくにも晴れ続きの日とは少し違う雰囲気を漂わせるのだ。

「止みそうにないですね」

テーブルを拭く手を休めて食堂の窓から暫し空を眺めていた平田が呟くのを聞いて、自分もそこへと近寄り、見上げる。
厚い雨雲から零れる雫は、絶え間なく地上へと降り注いでいた。
昨日から止むことなく続く雨は、自分にとっては決して嫌いなものではなかった。
雨の日の記憶…その始まりとそれからの日々に積み上げた潤との時間のおかげだろう。

二人で出勤だったのか、まずはクロウが来て、次に平田が来た。
当然、先に食事を終えたのはクロウで、休憩に入ろうとしていた浅野におやつを要求し
すぐに甘いものを持って戻るからゆっくり食べていろ、と平田に言い置いていったことで、行動の理由が理解出来た。

平田に好き嫌いはない。
良く食べるし、甘いものも辛いものも苦手ではなかった筈だ。 しかし今日は食が進んでいないようで、それでも残さないようにゆっくり時折溜息を吐きながら何とか食べ終わっているのがキッチンから確認できた。
きっと何かあったのだろう。
一緒に食事を取っていたし、普通に会話も交わしていたから、クロウと平田の間で、というよりも、平田と仕事の間で、だ。

食事を終えてもクロウは中々戻ってこなかった。
だから、食器を片づけて手持無沙汰になってしまった平田が、テーブルを拭き始めた自分を手伝うと言い出したのは自然な流れだった。

「出動してたんだろ」
「はい」
「雨じゃ、大変だったな」
「いいえ」

言葉少なな横顔は落ち込んでいるというわけでもないが、どこか曇り顔。
知らずにじっと見遣ってしまっていたのか、再度テーブルを拭き出した平田が眉を八の字にさせて笑った。

「すみません」
「何がだ」
「岸谷さんにもクロウさんにも…気に掛けていただいてしまって」
「気付いてたのか」
「はい。クロウさんが自ら取りに行かれるなんて、早々ないですから。自分に気持ちを纏める時間を与えてくれたんだろうと…そう理解しています」

平田は真面目で優秀な隊員なだけでなく、どちらかと言えば人の感情の機微には敏い方だ。
元からそうだったのだろうが、様々な事件を体験して、更にそうなっていったのだろう。
今回もクロウが自ら浅野の元に出向くことで平田に時間を与え、その間に気を持ち直せ、と伝えたかったのだろうことも良くわかっている。

「自分はまだまだだな、と再認識していたんです。クロウさんは迅速さは大切ではあるけれどひとつずつ、確実にでいいと言ってくれています。でも量が多い時は、クロウさんに負担を掛けることになりますし」

小さく、しかし深く吐かれた息の後の言葉は、しかし、暗いものではなかった。

「焦っていいことはないってわかってるんですけど気持ちが急いてしまって…。そこで平常心を保てないのが自分の弱さだとも思うんですが、中々今日は持ち直せなくて」

視線はテーブルの表面に向けながら、淡々と口にした言葉は卑下でも開き直りでもなく
出来ないことは出来ないと認めて、それならばどうしようかと考えているような思慮深さが見え隠れしていた。

「真面目だなあ、平田は」

あのクロウが出動の際に平田を引き連れていくことで、周囲から自分がどう見られているかを本人は知っているのだろうか。
潤が西脇の愛弟子だと噂されているように、クロウの愛弟子と言われ、次の世代のリーダーの一人として期待されていることを。
今言ったところで、そんなまさか、なんて信じっこないだろうから、それは言わず。
少しだけ人生を先に生きている人間として、今、言えることを口にする。

「まあ、湿った日があったっていいさ」
「え」
「そういう日も必要だ。晴れてばかりでは干上がってしまう」

日の光ばかりでは、水瓶は空になってしまう。
雨が降り、その時、溜まったその水が、自分達を生かす糧になる。

「梅雨が明ければ太陽が輝く夏が来るんだ。だから、暑さに負けないように雨の内に準備しとけばいい」

平田は噛み締めるように暫く黙った後、小さく微笑んで頷いて

「そうですね。きっと暑い夏なんでしょうから」

雲が晴れるようにゆっくりとその頬に笑みを広げた。


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